› 尽十方の陸前高田よちよち日記(2011年7月-2017年9月8日) [尽十方 その1]

  

2017年09月08日

タイトルを変更します。9/8/2017

「デクノボウの陸前高田よちよち日記」になります。
師匠の 「喝!」: 脚下照顧 ➡︎デクノボウ 故であります。  


2017年09月08日

タイトルを変更します9/8/2017

師匠からいただいたので、、、
デクノボウを自称しながらデクノボウにあえるといいなあ、、ヨチヨチ、ヨチヨチ、、落下もありなり。




  


2017年07月29日

なくなるって こういうこと(2012年4月22日のブログから)そして2017年5月25日の写真

2012年4月22日のブログから。 高田小学校を見る(1階まで浸水)

被災前

被災後 2012年4月22日撮影






2017年7月25日現在の写真。
高田小学校は取り壊されて 市役所が建つ予定。
右端が 一番最初にできた災害公営住宅で 下和野災害公営住宅。









  


2017年07月03日

お茶っこ会 西風道仮設住宅集会所 生協さん主催

脇ノ沢公営住宅への 鍵渡しが始まった。下重さんさんを含め 数世帯がここから 引っ越しする。目安は 8月のお盆前頃か、、、
今日は ここから巣立って 栃が沢公営住宅へ移った 岩崎さんの誕生日だった。happy birthdayを歌った。


  


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2017年07月03日

「野に摘み、野を染め、野を織る」 7/2 社会法人 非営利型 「ちーむ麻の葉」の活動。

7/2(日),2017 陸前高田、今年 2月に独り立ちした 一般社団法人 ちーむ麻の葉(非営利型)主催による 桑の葉ぞめをしました。
「野に摘み、野を染め、野を織る」

陸前高田には 絹を製糸していた 富岡製糸工場とおなじ く片倉製糸工場がありました。養蚕で陸前高田は繁栄していたようです。がその後 衰退し 酔仙酒造がその建物の一部を残しておいたそうですが このあいだの津波で 酔仙も片倉製紙工場の名残の建物も 全て流されてしまいました。
こういう文化があったその上に 自分たちの今があることを忘れないために 今回 桑の葉で染物をする企画が 社団法人 ちーむ麻の葉 によって立ち上げられました。







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2017年05月12日

東海新報5月11日づけの記事からの抜粋です。 as of 12 May

東海新報5月11日づけの記事からの抜粋です。
東海新報は 主に大船渡市、陸前高田市のニュースを取り上げている地元新聞です。
気仙というのは 岩手県大船渡と陸前高田を総称した呼び名?であって、隣接した宮城県気仙沼市とは異なります。(最初私も混同していました)。

竹駒食堂には一度行ってみたいと思っています。

  


2017年05月12日

5/11 今日は月命日


5/11 今日は月命日
ある 小さな観音堂でお経を供養した。
般若心経、消災呪、観音経、大悲呪  


2017年05月11日

陸前高田、5/10,2017 鈴木旅館 にて お焚き上げ について

鈴木旅館のお父さんこと繁治さんは 今年も 護摩木で「迎え火」の準備を始めました。
2011年大震災の年の8月のお盆から、護摩木に 被災地の方や 思いを寄せる方達が 言葉を書き、それを お焚き上げして供養し祈ることを してきました。

この計画を推し進めたのは 鈴木旅館の鈴木繁治さん と 京都の
松原公太郎さんと川添広和さんです。

昨日 遠く京都から松原さんと川添さんが陸前高田の鈴木旅館に足を運こんでくださり、鈴木さんと話し合いました。
7年目を迎え 被災された方々の生活もいくらか変わってきた中で、主催する側の立ち位置について、これからのことについて、話し合いました。

  


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2015年10月11日

10/11 浜松ちーむ麻の葉 活動日 facebook用

10/11 東日本大震災復興支援支援団体「浜松ちーむ麻の葉」では 「被災された方達を「忘れない」ワンコイン募金」で 集まった募金で ソバ と 菓子とをメッセージとを袋詰めし ソバセットと菓子セットを作りました。更にまた
浜松の父ちゃん母ちゃん達、爺ちゃん婆ちゃん達、子供達、若者たちが
「忘れていません、
思い出しました、
何かあるごとに想っています、
寒くなります お体お大事に」などなどの思いを込めて貼ったシール(約400人分)とコメントを書いた紙をコピーして 被災地の父ちゃん母ちゃん達、爺ちゃん婆ちゃん達、子供達、若者たちに 届けることにしています。それが何になるのかと思われる方もおられるでしょうが、私達には このシールとコメントを一つ一つをつぶさに読む 爺ちゃん婆ちゃん達の姿が目に浮かびます。
私たちのしていることは 「大河の一滴」かもしれない。でも 小さな一滴も集まれば コップ一杯ぐらいにはなるかもしれない。そのコップ一杯の水を 一口づつでも飲んで 喉を潤してもらえることになれば、という ある意味でははかない願いにしかすぎないかも、、、でも しないではいられない、、、のです。



  


2015年10月01日

10月1日 にゃん太、バイク事故に会う。


10/1 にゃん太 昨日11:00頃バイク事故に会うも 無事?多分無事 生還。鼻の頭の黒い墨痕は バイクのタイヤかどこかのものに当たった痕らしい。横たわったまま荒い息をしその度に気管支からゴボゴボ音がした。外傷は見当たらないので 内傷、打撲傷を心配した。横に伸びたままだったが そののち 箱座りと横伸びを繰り返していたが そのうち丸くなって引きこもった。与えられた運命の力強さを感じたので お陀仏になるという心配はなかった、、、いや、少し心配した。
今朝9:00ころ 排尿 排便 やっと 蒸した鳥の胸肉だけ食べた。ミルクも少し飲んだ。目に生力が出た。それでもまだ本調子ではない。多分打撲だけで済んだのだろうが、まだ痛むのだろう。始めは胸椎ががひっついていて6,7番あたりが飛び出していたが、今は かなり以前の背骨に戻っている。もう数日様子を見よう。用心、用心。



目に力が出た。顔が小さくなった。





  


2015年08月28日

8/28 何ができるのかあ?

8月28日 12:00〜16:00
浜松ちーむ麻の葉 縫い会グループ活動日
10月3,4日の 浜松ゆりの木通り手作りバザール出店のための手作り活動をしています。売上金は 被災地に寄付します。大河の一滴にしかすぎないかもしれないけれど、、、、被災地と被災地の方達を「忘れないため」にこの活動にぶら下がっているといっていいでしょう。
さて、何ができるでしょう???








  


2015年08月07日

「吾が輩 にゃん太」の日記

どこで生まれたかって? 聞かれるけど、縁側の下では にゃいのだ。尼寺の庭のボーボーとはえたバランの根っこのところではなかったかと思う。なんせ目があいてなかったし、、、半分目があいた頃の話にゃんだが、、、  


2015年06月28日

2015年06月19日

2015年06月18日

車でお出かけ、ご機嫌にゃん太。 実は 、、、神谷動物病院でした。泣かなければいいけど、、、




車でお出かけ、ご機嫌にゃん太。
神谷動物病院でした。初診で 健康状態、便検査をしてもらいました。爪切りの仕方も教わりました。普通のハサミとか爪切りでできますよ、と言って ハサミで切って下さい
ました。合計1600円余?くらいでした。ボンピーな尼には ありがた〜〜かった! 体重測って お腹を触診して 食欲ありそうですね 、検便で 虫無し、 と言ってもらえて 安心しました。
にゃんたは 泣かなかったし、暴れなかったし。診察終わったら 震えていた。怖かったんだ。でも慣れていかないと、、、。
その他 風邪の予防注射 とか 去勢の時期 について 教えていただきました。ありがとうございました にゃん。

ショックで寝込んだにゃん太はもうすっかり寛いだ様子



  


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2015年06月17日

2015年06月17日

2015年06月15日

最近のにゃん太

手足が伸びた。











  


2015年06月15日

にゃん太、車の後部荷物の上に乗り外を観察 6/14(日)

午後1:30 マホちゃんとこに遊びに行った。いつもならすぐ前の座席にくるのに、今日は こないので 後部を覗いてみると 荷物の上に乗り 後ろの車を見ながら段ボール箱をかじっていた。
マホチャンちで 初めてウンコをした。なが〜いウンコがとぐろを巻いた。とても臭い。いつもウンコは臭い。EM活性液で消臭。
帰りはエンチョーにより粉ミルクを買った。車に戻ると にゃん太は前座席に座り 外のムクドリを眺めていた。  


2015年05月31日

寝落ち 5/31


寝落ち。さっきまで遊んでいたのに。
今日のにゃん太 5/31 10日目
誕生日を5/5ということにすれば
生後26日目?




  


Posted by jinjippo at 12:39Comments(0)